安らかなんかに眠ってくれるな

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去年12月は色々忙しくてTVもゆっくり見られず
勘三郎さんの告別式の様子も見られなかった。。

野田秀樹のお別れの言葉だけがどうしても
知りたくて探すと一発ヒットで見つかったのね。。
やっぱしこの人の言葉が胸に残った人一杯いたんだね・・・

もうかなり前だけど東京の友人に
「夢の遊眠社」が大好きでライブが見たいから
チケット何とかならないかしら・・・
とお願いしてもソールドアウトだと言われて諦めた事があった。。

何度かTV中継見たけど
どうしてあんなにスラスラと言葉が簡単に出てくるんだ?
と感動しちゃったっけ・・

安らかなんかに眠ってくれるな


この2人が舞台やった。
野田秀樹が母親、勘三郎が父親。。
何だかやっぱし可笑しい、笑える!
安らかなんかに眠ってくれるな

もう一度WOWOWノンフィクションが見たい!

野田秀樹の弔辞です。

見てごらん。君の目の前にいる人たちを。列をなし、君にお別れを言いに来てくれている人たちを。君はこれほど多くの人に愛されていた。そして今日、これほど多くの人を残して、さっさと去ってしまう。残された僕たちは、これから長い時間をかけて、君の死を、中村勘三郎の死を、超えていかなくてはいけない。

 いつだってそうだ。生き残った者は、死者を超えていく。そのことで生き続ける。分かってはいる。けれども、今の僕にそれができるだろうか。

 君の死は、僕を子供に戻してしまった。これから僕は、君の死とともに、ずっとずっと生き続ける気がする。芝居の台本を書いているときも。桜の木の下で花を見ているときも。稽古場でくつろいでいるときも。落ち葉がハラハラと一葉舞うとき。舞台初日の本番前の袖でも、ふとしたはずみで、必ずや君を思い出し続けるだろう。

 たとえば君が、僕に初めて歌舞伎の本を書かせてくれた「研辰(とぎたつ)の討たれ」という狂言の初日。歌舞伎座の君の楽屋で、出番寸前に突然、2人で不安になった。もしかして観客から総スカンを受けるのではないか。つい5分前まではそんなこと、まったく思いもしなかったのに。君が「じゃあ舞台に行ってくるよ」、そう言った瞬間、君と僕は半分涙目になり、「大丈夫だよな」「大丈夫。ここまで来たんだ。もうどうなっても」。どちらからともなく同じ気持ちになりながら、そして君は言った。「戦場に赴く気持ちだよ」 

 やがて芝居が終わり、歌舞伎座始まって以来のスタンディングオベーションに、僕たちは有頂天となり、君の楽屋に戻り、夢から覚め、しばし冷静になり、「良かった。本当に良かった」と抱き合い、君は言った。「戦友って、こういう気分だろうな」 

 そうだった。僕らは戦友だった。いつも何かに向かって戦って、だからこそ時には心が折れそうなとき、必ず「大丈夫だ」と励まし合ってきた。どれほど君が演じる姿が、僕の心の支えになっただろう。それは僕だけではない。君を慕う、あるいは親友と思う、すべての君の周りにいる人々が、どれだけ君のみなぎるパワーに、君の屈託のない明るさに、時に明るさなどというものを通り越した無法な明るさに、どれだけ助けられただろう。 

 君の中には、古きよきものと、挑むべき新しいものとが、いつも同居していた。型破りな君にばかり目が行ってしまうけれども、君は型破りをする以前の古典の型を心得ていたし、歌舞伎を心底愛し、行く末を案じていた。

 とにかく勉強家で、人はただ簡単に君を「天才」と呼ぶけれど、いつも楽屋で本から雑誌、資料を読み込んで、ありとあらゆる劇場に足を運び、吸収できるものならばどこからでも吸収し、そうやって作り上げてきた「天才」だった。 

 だから、役者・中村勘三郎、君の中には芝居の神髄というものがぎっしりと詰まっていた。それが、君の死とともにすべて跡形もなく消え去る。それが悔しい。

 君のような者は残るだろうが、それは君ではない。誰も君のようには、二度とやれない。

 君ほど愛された役者を、僕は知らない。誰もが舞台上の君を好きだった。そして舞台上から下りてきた君を好きだった。こめかみに血管を浮かび上がらせ、憤る君の姿さえ、誰もが大好きだった。

 君の怒りはいつも、ひどいことをする人間にだけ向けられていた。何に対しても君は真摯(しんし)で、誰に対しても本当に、思いやりがあった。

 そしていつも芝居のことばかり考えて、夜中でもへっちゃらで電話をかけてきた。「あの、あれ、どう? 絶対に頼むよ、絶対だよ」とか、主語も目的語もない、訳の分からない言葉で、こちらを起こすだけ起こして、切ってしまう。電話を切られた後、いつもこちら側には君の情熱だけが残る。今の君と同じだ。僕の手元に残していった君の情熱を、これからどうすればいいのだろう。途方に暮れてしまう。

 そして君はせっかちだった。エレベーターが降りてくるのを待てなくて、エレベーターのドアを両手でこじ開けようとする姿を、僕は目撃したことがある。

 「勘三郎、そんなことをしてもエレベーターは開かないんだよ」。待ちきれず、エレベーターをこじ開けるように、君はこの世を去っていく。 

 お前に、安らかになんか眠ってほしくない。まだこの世をうろうろしていてくれ。化けて出てきてくれ。そしてバッタリ俺を驚かせてくれ。君の死はそんな理不尽な願いを抱かせる。君の死は、僕を子供に戻してしまう。 

 「研辰の討たれ」の最後の場面、君はハラハラと落ちてくる、一片(ひとひら)の紅葉を胸に置いたまま、「生きてえなぁ、生きてえなぁ」、そう言いながら死んでいった。けれどもあれは、虚構の死だ。嘘の死だった。作家はいつも虚構の死をもてあそぶ仕事だ。だから死を真正面から見つめなくてはいけない。だが今はまだ、君の死を、君の不在を、真っ正面から見ることなどできない。子供に戻ってしまった作家など、作家として失格だ。 

 でも、それでいい。僕は君とともに暮らした作家である前に、君の友達だった。親友だ。盟友だ。戦友だ。戦友に、あきらめなどつくはずがない。どうか、どうか安らかなんかに眠ってくれるな。この世のどこかをせかせかと、まだうろうろしていてくれ。

全文です。
悲しい・・
日本語が美しすぎる。。。



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